暮れも押し迫った先日twitter経由でEROOYAJI氏から有力情報が寄せられたので検証に向かう。
場所は第28話で不明だったサイクロンの走行シーン。
モグラングに襲われた兄の豊を助ける為、一文字に助けを請うシンジ。
一文字は変身して現場へと向かう。
この変身後にワンカットだけ映るサイクロンが走っていく道が筆者やEROOYAJI氏の間でも不明箇所として永らく懸案事項だった。探し始めた当初、背の高いブロック擁壁は生田付近を捜すと限られた場所しかないのですぐ見つかると思っていたがどことも条件が一致せず、また14話にも似たような丈の擁壁が登場するので同一箇所かとも思ったがやはりここも違っていた。
このエピソード撮影時期の71年ではまだ聖マリアンナ医大病院は開院前。74年開院と同年制作の「仮面ライダーX」が同所のライダーシリーズにおける初出という認識だったので意識的にこのエリアを検索対象から外していたのかもしれません。
しかも読売ランド前に住む筆者は実生活でこの映りこんでいる通りを2日に1度は通るというのに全くノーマークでした。
今回のEROOYAJI氏の発見には脱帽せざるをえません。(いや、この方のヒントが無ければ見つけられなかった場所多数なんですけど。この方とMGG氏は勝手に師匠と崇めています。)
2015年12月29日火曜日
2015年11月29日日曜日
SL350K1
劇中で本郷猛の乗る変身前のサイクロン号(通称常用サイクロン)、2号から新1号の乗るオフロードタイプの改造サイクロン等の改造ベースとして、また一文字隼人の普段乗っていたバイクとして使われていたホンダSL350K1を念願叶って入手。ロケ地巡りに最適の足になるかと思いますがそこは45年前の旧車。こちらの思い通りには行かないわけで。
仕事が忙しかった事も重なり納車からナンバー取得まで半年ほどかかってしまいました。
私の車両は当時の輸出仕様を近年アメリカから持ってきた物で実際に撮影に使われた国内仕様とはフレームのカラーやシート形状などところどころ仕様が違っています。もちろんメーターはマイル表示だし。
新車が納車されたら神社にお払いに行くように私の場合、まず最初に向かったのはもちろん(?)生田スタジオ。その先のマンションニューランド前で。
ライダー26話での一文字とゾル大佐が初めて対峙するシーンをイメージしつつ…
それからしばらく普段の足にも使いつつエンジンの調子を見ながら先日向かった先は20話で立花レーシングクラブ一行がツーリングに訪れた丹沢の水無川上流。五分ほどの紅葉でしたが気持ちのいいツーリングとなりました。一行がバイクを停めた戸沢山荘前で。
気持ちのいいツーリングと書きましたが旧車ゆえのトラブルが続発し帰路は冷や汗物でした…
仕事が忙しかった事も重なり納車からナンバー取得まで半年ほどかかってしまいました。
私の車両は当時の輸出仕様を近年アメリカから持ってきた物で実際に撮影に使われた国内仕様とはフレームのカラーやシート形状などところどころ仕様が違っています。もちろんメーターはマイル表示だし。
新車が納車されたら神社にお払いに行くように私の場合、まず最初に向かったのはもちろん(?)生田スタジオ。その先のマンションニューランド前で。
ライダー26話での一文字とゾル大佐が初めて対峙するシーンをイメージしつつ…
それからしばらく普段の足にも使いつつエンジンの調子を見ながら先日向かった先は20話で立花レーシングクラブ一行がツーリングに訪れた丹沢の水無川上流。五分ほどの紅葉でしたが気持ちのいいツーリングとなりました。一行がバイクを停めた戸沢山荘前で。
2015年9月25日金曜日
鷲ノ巣崎遊歩道
シルバーウィークにふらりと和歌山県へ。ここは5年ほど前にも一度行ったことがありますが
ライダー72話、73話のロケ地である瀞峡、熊野大社、ホテル浦島、太地町と直線で20kmほどの範囲にわたって何箇所かロケ地があるんですが、この地域は平成23年8月の台風12号で甚大な被害を受けたのもニュースなどで大きく取り上げられていたのも記憶に新しいかと思います。
熊野大社本殿が裏山の土砂崩れで埋もれたり、熊野川沿いの国道が寸断されるなどロケ地だった場所も被害を受けていたので次に行くのは少し先になるかなと思っていたところ、シルバーウィーク前になり那智勝浦新宮道路と奥瀞道路が開通し三重県側からのアクセスがよくなったというニュースを知り早速向かった次第です。ところが…
73話シオマネキング戦などが撮影された太地町の鷲ノ巣崎遊歩道が老朽化と落石の恐れありということで立ち入り禁止になっているらしいとの事は行く前に知っていたんですが現地に行ってみると何やら警官がウロウロしていたり人だかりが出来ていたり、前回来た時とは様子が違いました。
そうなんです。太地町といえば捕鯨で有名な町で昨年からその反捕鯨団体のシーシェパードが大挙して押し寄せ漁師たちに狼藉を働いているという問題を抱えた町なんです。
しかも肝心のロケのあった鷲ノ巣崎遊歩道はイルカの追い込み漁の追い込みに使われる入り江の真横なんです。あわよくば柵を越えて写真を、という甘い考えも事の次第を理解した瞬間に無理だと判りました。
立ち入り禁止の遊歩道入り口。
下の写真左側がロケ地。写真で判りにくいですがこの入り江に数十頭のイルカがいました。水族館で見たことあるような密度とは違います。
岸には報道陣も何組か来ています。
ああ、ロケ地はすぐ目の前なのに…(泣)
シーシェパード対策なので英語表記の看板が目立ちます。
帰宅してから知ったんですがこの入り江が漁の追い込みに使われている事、9月はイルカ追い込み漁の最盛期でシーシェパードもその時期に合わせて来日するという事。しかも私が訪れた前日が日本動物園水族館協会が加盟する水族館に対してこの漁で捕獲されたイルカの入手を禁止して以降初めての水揚げで200頭ほどのイルカが水揚げされた翌日で報道陣も来てる訳ですよね。大きな一眼レフを持ってる人がいると警官が寄ってきて職質を受けていました。まさかライダーのロケ地巡りをシーシェパードに妨害されるとは思いもよりませんでした。次回はイルカ漁の時期を外して再訪したいと思います。
2015年9月15日火曜日
薄別トンネル
マリたちは捕虜にした戦闘員にアジトまで案内するよう命令するが…
ここは国道230号線の中山峠と定山渓の中ほどにある薄別トンネルの定山渓寄り。別カットで登場する無意根大橋の袂の路上。
車窓の先に見えている梯子状の部分が薄別トンネル。
ここは国道230号線の中山峠と定山渓の中ほどにある薄別トンネルの定山渓寄り。別カットで登場する無意根大橋の袂の路上。
車窓の先に見えている梯子状の部分が薄別トンネル。
小樽市総合博物館(改稿版)
新型の液体燃料を開発した大隈博士。
博士の研究所として使われたレンガ積みの古い建物は国の重要文化財にも指定されている小樽市総合博物館内に現存する明治18年竣工の機関車庫3号。当時は北海道鉄道記念館という施設で北海道の鉄道発祥の地である旧手宮線・手宮駅を利用した施設だった。
6年前の訪問時は肝心の機関車庫3号が改修中で囲いが建てられていて囲い越しに拝むことこそ出来たものの撮影はほとんど出来ていなかったので再編集してみた。
博士の研究所として使われたレンガ積みの古い建物は国の重要文化財にも指定されている小樽市総合博物館内に現存する明治18年竣工の機関車庫3号。当時は北海道鉄道記念館という施設で北海道の鉄道発祥の地である旧手宮線・手宮駅を利用した施設だった。
6年前の訪問時は肝心の機関車庫3号が改修中で囲いが建てられていて囲い越しに拝むことこそ出来たものの撮影はほとんど出来ていなかったので再編集してみた。
ムササビール後方の車庫は大隈研究所の3号棟とは別の機関車庫1号。なぜか同じ意匠のまま拡張がなされていて1番右の扉と左2つの扉周辺のレンガの色が違うことが判る。
扉だけ別の物になっていた。窓の意匠に合わせたんだろうか。
機関車庫1号の増築された部分がよくわかる。
北海道鉄道敷設に尽力したアメリカ人鉄道技師ジョセフクロフォード像の前のマリたち。
恐らく銅像自体は同一の物なのだが現在の博物館正面は当時現役の線路が走っていたので恐らく別所にあったのだと思われる。後ろのリブ上の壁はワム70000系の貨車の側面なのだが現在の博物館収蔵車両の中に存在せず直近の線路にたまたま停車していた車両なのかもしれない。
クロフォード像の後ろにあった車庫について帰りの車中から見えた景色(下のストリートビュー画像)で気になったことがあり帰宅してから調べてみた。それは博物館前の工場敷地に置かれたコンテナである。どうも鉄道の貨車のコンテナ部分を改造してつなぎ合わせた物かと推測できる。リブの形状からクロフォード像後ろにあったワム70000系の物に近いような気がするがどうだろうか。もちろん別段珍しくない車両を、しかもそれを複数つなぎ合わせているので映像に写った物と同一ではないかもしれないが博物館敷地で展示、もしくは倉庫代わりになっていたそれを処分する際に払い下げて…なんて想像してみたが確認できないでしょうね。2015年9月14日月曜日
金山跡地
北海道出張があったので6年前に撮り漏れていた場所、後に判明した場所を廻ってきました。が、先日の大雨の余波で途中から雨が…。というわけでしばらく19話、23話の北海道ロケ編を紹介します。
古代神殿のようなコンクリート廃墟の前に立つショッカー戦闘員。ここはムササビードルのアジトだった。
ここは札幌北西部にある鉱山の選鉱場跡地。撮影のあった71年に廃坑になっていたようだがその頃すでに廃墟のような趣。最近まで当時のまま廃墟として残っていたがここ数年で解体が始まったようでGoogleマップではその解体中の様子が伺える。戦闘員の後ろの広い空き地のような場所は木が植えられたのか完全に森になっていました。
1人の登山者がムササビードルの能力の実験台に。。
恐らくこの建物の最上階部分での撮影と思われるが、そこへ登る斜面が藪に埋もれてしまっていて同行した道民の友人がこの時期の北海道は大量のマダニが発生しているから止めたほうがいいとの忠告に諦め、雰囲気の似ていた下のほうでアングル合わせてみました。
古代神殿のようなコンクリート廃墟の前に立つショッカー戦闘員。ここはムササビードルのアジトだった。
ここは札幌北西部にある鉱山の選鉱場跡地。撮影のあった71年に廃坑になっていたようだがその頃すでに廃墟のような趣。最近まで当時のまま廃墟として残っていたがここ数年で解体が始まったようでGoogleマップではその解体中の様子が伺える。戦闘員の後ろの広い空き地のような場所は木が植えられたのか完全に森になっていました。
1人の登山者がムササビードルの能力の実験台に。。
恐らくこの建物の最上階部分での撮影と思われるが、そこへ登る斜面が藪に埋もれてしまっていて同行した道民の友人がこの時期の北海道は大量のマダニが発生しているから止めたほうがいいとの忠告に諦め、雰囲気の似ていた下のほうでアングル合わせてみました。
この画像で判るように下部の格子状に見えるあたりが全て解体されている。
ちなみに直近に住宅地もあるがこの時期は欠かせないとの事で熊除けの鈴を鳴らしながらの入山。いろんな場所を廻ってきているがライダーのロケ地巡りに熊除けの鈴を持っていったのは初。
6年前に北海道に行ったときはどこかも皆目判らず帰京後にmixiの廃墟系コミュニティで教えてもらって行きたいと思っていたのがやっと叶いました。残念ながらその5年の間に解体が進んでいましたが辛うじてその雰囲気は確認することが出来ました。そういえばパスワード忘れてしまってログイン出来なくなってしまいましたがどうなってるんだろう、僕のmixi。
2015年9月9日水曜日
松下電器東京体育館
レーシングクラブの危機を察知し変身する一文字。
一文字後方の螺旋状の特徴あるコンクリートの建物はかつて川崎市多摩区東三田に長沢浄水場に隣接して建っていた松下電器東京体育館。ご覧のように2003年に解体されて跡地には大型のマンションが建っている。同敷地には松下電器東京研修所、松下技研等があり2号ライダー時期に病院の外観などの設定で度々ロケに使われている。下は75年国土地理院撮影の同所の航空写真。中央のゼビウスのピラミッドのような建物が体育館。左下に写るプールのような施設が長沢浄水場、右下は川崎国際生田緑地ゴルフ場。
2015年9月8日火曜日
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自己紹介
- yart先生
- 仮面ライダーの全てのロケ地を自分の目で見る旅の途中です。 当ブログは元の作品の権利、肖像権を侵害する物では無く、作品を120%楽しむ為の一つの手引きとして筆者の研究調査成果を提示するために一部"引用"として元映像を使用させていただきました。作品の権利は東映株式会社様にあります。