カブトムシを餌に子供達が連れてこられたのは高尾山の登山道を浄心門から右に枝分かれした4号路を少し入った辺り。子供達の背後に斜面から伸びた2本の木が一致している。ここをそのまま進むとカブトロングとの決戦が撮られたみやま橋に出る。
ちなみに上のカットが紅葉が始まりかけた10月の撮影、下のショッカーのモニター二映るカブトロングのカットと対比した写真は桜が咲くには少し早い3月末撮影。カブトムシという夏のイメージのエピソードではあるが劇中ではすっかり葉の落ちた気ばかり目立つ。10月に撮った写真では本編のイメージより青々しているので恐らく本編撮影は3〜4月くらいに行われたのではないだろうか。
五朗の潜入したショッカースクールは奥深い山の中へ登っていく。
登ってくる階段は浄心門から4号路への分岐点。劇中、戦闘員の後方に見える白っぽい看板は2号路への分岐の看板。対比の写真にも写っているが茶色に塗られているため目立たない。
隊列はそのまま右に曲がり神変山園地方向へ。現在このルートは側道の一つとして残ってはいるが綺麗に整備されておらず登山客はあまり通らない。カメラ位置はメインの登山道1号路にあり多くの登山客はここを通って山頂へ向かうことになる。
ショッカースクールの卒業試験として滝の殺害を指示するカブトロング。
ここは上記の登山道を登ってくるシーンからそのまま先に行った辺り。直立する戦闘員の後ろの切り株の痕跡が苔むして今も残る。
滝が縛られた木を見つけるのに苦労したが映像の流れ的、木の形状的にこれで間違い無いでしょう。
ライダーが登っていたと思しき木が先日の台風の影響か折れて倒れていた。
このアングルも台風等で折れた枝の山で見通せず。
このカットから神変山の真ん中を通る道で脇には当時と同じコンクリート製ベンチが残っている。
上のベンチの場所から少し登るとライダーが乗っていた東屋があったのだが既に痕跡も無く、参道にいたボランティアガイドの方に伺ってもそこに東屋があったこそすら知る者はいなかった。ベンチのシーンで道の先にこの東屋が映り込んでいるので間違い無いと思うのだが…
さらにその東屋から先に登った辺りに石碑らしきものが木立の中にあるのだがこれもガイドの方はご存知なかった。山頂にある十三州見晴台の碑に形状がよく似ているが関連があるのかも。
カブトロングを追ってきた少し開けた場所は神編山園地の頂上で木立の合間に先の東屋の屋根も確認出来る。
当時は植え込みが綺麗に刈り込まれていたが現在は特に手を入れたりはしていないようだ。
ライダーが振り向いた先には昭和37年に建てられた"林野庁殉職者慰霊碑"があるのだが、当時まだ建って10年も経っていなかったので綺麗に整備されていたのだろう。
カブトロングが倒れ正気を戻した子供達。
ここは先に整列させられていた場所と同じ。
神変山(しんぺんやま じんぺんやま):高尾山で多くの登山客が通る登山道1号路にある浄心門の脇の小さな山(丘)の事で浄心門脇の4号路の分岐と1号路の間にそこへ登る細い道がある。その頂きには昭和37年に建てられた林野庁殉職者慰霊碑がある。65話では高尾山の山中のシーンの大半がここで撮影されていた。高尾山は47年前とはいえ人気の観光スポットだった故、一般の通行人が少ないここが使われたのではないだろうか。上記したがこの慰霊碑周辺は当時こそベンチや東屋が設けられ公園のように綺麗に整備されていたが現在は通る人も少ない。今はもう無くなってしまった戦闘のシーンに映り込んでいた石碑や東屋の事は年配のボランティアガイドの方たちも存在すらご存知無かったほどである。