ラベル 第36話「いきかえったミイラ怪人エジプタス」 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2016年6月26日日曜日

三栄土木(矢野口側)

エジプタスとの決戦は稲城市矢野口の造成地。いわゆる通称三栄土木と呼ばれた場所で最も京王相模原線よみうりランド駅寄り。

ショッカーの車を追うライダー
長らく放置され荒れ放題だった同所は数年前からついに再開発が始まり当時の雰囲気に近くなったとも言える。

 ショッカーの車の後ろには電線が見えるが現在の相模原線の軌道あたりだろう。
 ライダーのマスクの左脇に見える白地に上下に青線、赤文字の看板は富士通の系列会社だった蒲原機械電子株式会社(現:富士通フロンテック)の建物で看板こそ残っていないが建物自体は現存している。遠景で文字が不鮮明だが親会社の富士通、もしくは当時の主力だった電子計算機”FACOM”のロゴだと思われる。
この配色は富士通、FACOM共に共通のものだが富士通の社史を見ると71年5月に"FACOM"のロゴが制定され『当時あらゆる宣伝活動に使用した。』とあるので撮影時期(71年秋頃)から考えると恐らく後者。
かなり増築されているが現存する富士通フロンテックの社屋。この屋上部分に看板があったと思われる。

ライダーの後方には線路脇にあったであろう民家が直接見通せる事から撮影のあった71年の秋頃はまだ京王相模原線もよみうりランドまでしか開通しておらず、高架も通っていないことが伺われる。
少し位置を変えるとご覧の通り草に覆われてしまって見通せない。
 かつての崖は綺麗に整地され現在はマンションの建築も進む。右後方に見えるマンションは三栄土木でも南山側の造成地だった場所に建つプラウドシティ南山。住人にそこがかつてライダーの激戦地だった事を知るものはいるのだろうか。
再開発の始まる前(2010年撮影)は荒れ放題ではあったが崖に往時の雰囲気を残していた。
ひと口に”三栄土木”と呼んではいるがもちろん地名ではなく当時のスタッフが呼んでいた呼称で造成を請け負っていた業者の名称。後にライダーの関係書籍でもそう書かれるうちに広くファンにも浸透したもの。
一概に三栄土木の造成地と言っても第4話を最初に使われてきた稲城駅方面の南山地区には昭和38年頃までは亀山(きざん)と呼ばれる台地状になった山が存在したが高度経済成長期に東京湾の埋め立てに必要な土砂採取を目的とした造成で山がまるまる喪失。中世には長沼城と呼ばれる城もあったとされているがライダー撮影時期に既に見る影も亡くなっていた。それに対し今回紹介している矢野口側は実は別件の工事と推測している。それは京王相模原線敷設の為の工事だったのではないか。航空写真を年代ごとに見ると着工時期に数年のズレがあること、先の亀山のように大掛かりに山を崩さず線路沿いに沿ってのみ均等に造成していることなどが理由。エジプタスの撮影のあった道は当初の土砂搬出路だったようだが高架が敷かれてからは大型の車両は実質通行不可能だったので南山側から出入りしていたのではないだろうか。(高架下は2t程度の小さなトラックなら通れそうだがダンプはおそらく無理。)

記事協力:Chikun Discoman氏・EROOYAJI氏


2016年5月20日金曜日

グランド橋

博士に仕込んだ発信器を追う一文字。
世田谷区岡本と大蔵の間を走る東名高速にかかるグランド橋。一文字は先述の岡本3丁目の剛田博士邸の方向から走ってきて橋の上で腕時計に仕込んだセンサーを確認する。
変身しエジプタスを追う一文字。
こちらは先ほどと逆側の大蔵側で世田谷区総合運動場の裏道。後年、石垣を延長した際に積み直したのか形状が異なる。
 エンディング
事件を解決し走っていく一文字。
ここも大蔵側で腕時計を確認したのと反対側の袂。変身した場所はこの先。右側のフェンスは世田谷区総合運動場の野球場。
天候次第では西に丹沢山脈越しの富士山が望めるビュースポットでもあります。

2016年4月22日金曜日

妙覚寺

剛田博士を拉致した車は怪しげな古刹にたどり着く。
寂しげな道ではあるが京王相模原線よみうりランド駅脇を走る都道124号線で稲城市と川崎の生田をつなぐ道として比較的往来は多い。ショッカーの車の横には稲城名物の梨の看板が見えるが下の写真を撮った数年前までは同所に同じ畑が存在していたが、今現在はこの看板のあった辺りから先は畑も無くなってしまい再開発の真っ最中である。
実際に上の通りに面した場所にある妙覚寺の境内に入っていくエジプタス。
ショッカーのアジトとして使われる松荘堂。画像左の木が40数年分育っている。
 下の写真で戦闘員の後ろに見える階段は東日本大震災の際に崩れかかっていたがその後復旧された。
 エジプタスを倒し剛田博士親子を救出。
参道の階段の先に見えるのが冒頭の124号線。
この妙覚寺は生田スタジオから車で10分足らずの距離にあり、この回を皮切りにライダーシリーズをはじめとした東映生田作品はもちろん、70年代にはウルトラマンレオなど多くの特撮作品にも使用されていた。
妙覚寺:稲城市矢野口2454

2016年4月3日日曜日

皆瀬川橋

ショッカーの車を追う滝のバイクはやがて山に囲まれた大きな谷あいの陸橋の下へ…
ここは神奈川県足柄郡山北町を走る東名高速の酒匂川の支流に掛かる皆瀬川の橋脚。東名高速下りの左ルートにあたる。東名高速を走った事がある方なら判るかもしれないが下り線で大井町田ICの先で部分的に2路線に分離するあそこである。流石に日本の大動脈だけに45年の間の通行量増加に伴い、上り下り2路線だった橋は現在上り1路線下り2路線の計3本増え、基礎部分も補強工事がなされている。オマケに木々の成長で劇中の戦闘員の位置からは一文字の走ってくる道はほぼ見通せず。通りに出ての撮影がこちら。
 改めて冬場の落葉時に再訪。
 補強工事のせいなのか滝を見上げる同じカメラアングル位置へ行く事が出来なかった。カメラ位置だと思われる橋脚の基礎がかなりの傾斜の途中にある。
なぜこのシーンだけ生田から離れたここで撮影されたかは推測するに恐らく今後紹介する監督が同じ田口勝彦氏が手掛けた38話「稲妻怪人エイキングの世界暗黒作戦」のメインロケ地が同じく山北町で、製作順からしてそれらが2本撮りだった為ではないかと思われる。余談だが田口監督はライダーをはじめ他の生田作品でも度々この山北町界隈をロケに使う傾向があり機会があれば是非その所以をご本人に聞いてみたいものである。

この記事をアップした本日、2016年4月3日は1971年の仮面ライダー放送開始45周年記念の日。
ブログスタートした7年前は2年間で98話製作された当時の放送ペースに合わせてブログを書けば2年で終わると思っていたら未だに36話までしか書けていないのが現状。
すでに取材を終えている場所も多数あるが順番にアップする頃には建物などが取り壊されたりした場所もあるので再訪したりといった事もあって遅々として進まない…。

2016年3月20日日曜日

寺尾台

ショッカーの罠に誘い出された滝。
車を追う滝のバイクは前回紹介した岡本から生田スタジオ近くの寺尾台団地の坂道を通過する。
当時はガードレールの先は直ぐに土手だっただが今ではすっかり住宅が立ち並んでいる。
剛田博士の乗ったショッカーの車もまたここを逆方向に通過する。車の右側は6話で本郷が子犬を抱き上げる小さな墓地。


2016年3月17日木曜日

岡本3丁目

4000年の眠りから蘇ったエジプタスは次々に古代エジプト語の研究する歴史学者を襲う。

2人目の犠牲者大野博士が襲われたのは次に紹介する剛田博士邸の前、世田谷区岡本3丁目の路上。炎に焼かれる大野博士の後ろにわずかに映っている縁石が剛田博士邸。
同じ道の逆アングル。世田谷の高級住宅地ではあるが土手が擁壁が補強こそされたものの未だ畑の所も点在している長閑さ。
映りこむ物が少なく確認出来ないが大野博士が入った電話ボックスも恐らくここの路上に設置した撮影用のものではないかと思われる。

事件を知り駆けつける滝と一文字。先ほどの剛田博士邸の正面道路を南に下った辺り。
滝の後方は東名高速に掛かるグランド橋(後述)、世田谷大蔵運動公園。劇中映像も辛うじてグランドのネットの柱が視認出来る。
次のカットは先ほどとは異なる道。最初の大野博士が襲われる道と一緒。
 位置は異なるが同じ番地の標識。
 ショッカーの車を追う滝。
息子を助けるべく自らショッカーに拉致された剛田博士を乗せた車が走るのも先ほど滝と一文字がバイクで走った場所と同じ。

情報内容の正確さを求める為に記事の差し替え、追記等を行う場合があります。

自己紹介

自分の写真
仮面ライダーの全てのロケ地を自分の目で見る旅の途中です。 当ブログは元の作品の権利、肖像権を侵害する物では無く、作品を120%楽しむ為の一つの手引きとして筆者の研究調査成果を提示するために一部"引用"として元映像を使用させていただきました。作品の権利は東映株式会社様にあります。