2014年12月3日水曜日

代田4丁目

先日発売となった「仮面ライダー1971~1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人」は平山亨先生の名義で出される出版物としては恐らく最後になるかと思われますがそれに見合う資料満載で、昭和ライダーを研究する上では外せない名著となったとのではないでしょうか。
ロケ地マニアとしては掲載資料の中でも旧1号編に助監としてつかれていた梅田氏の所有していた台本の書き込みや撮影スケジュール表等の記述を汲まなく検証して行きたいと思います。

幸運にも3年前のイベント「仮面ライダー40周年記念 ライダー大集合!」の際にその現物を僅かながら拝見させていただく機会に恵まれ、1話台本の書き込みからスナックアミーゴの場所にたどり着くことが出来ました。

掲載資料の1話撮影スケジュール表によるとルリ子の通う城北大学、スナックアミーゴの撮影が同日でそれらが梅が丘、明大前周辺だったと記載があり、今まで判明できないでいたルリ子の下校シーンも同じく梅ヶ丘だった事が確定した。道の勾配などから同じような住宅地ある生田スタジオ近くでは?といった私の仮説も否定された訳だ。

城北大学の撮影のあった明大前の日本学園中高等部周辺にも雰囲気の似た坂道があったので検証してみたがどこも一致せず、範囲を順番に梅ヶ丘方面へと言う事になったのだが日本学園から駅までの間にはそこまでの勾配と幅員を持った坂が存在しない。

で、そこから検証範囲を広げて行くと…ありました。
駅から羽根木公園を隔てた小田急線沿いの住宅地代田4丁目の一角。ストリートビューで擁壁やブロック塀が現存している事を確認、現地へ行ってきました。


大学の帰り道、不安げに歩くルリ子とその同級生ヒロミ。
ルリ子とヒロミの後ろ、ブロック塀下部の透かしブロックの紋様で確認することが出来る。
両脇の住宅はほとんど建て替わっているが擁壁や塀などがほぼそのまま残っている。(見切れているが右側の住宅は当時のままだった。)
撮影ポイントから下り方向は若干雰囲気が変わっている。一番左端のお宅の擁壁部のみそのまま。
ルリ子が倒れこむ擁壁はブロックの気泡を検証していけば位置を確定できるかと思ったが表面の風化や汚れもあり確定できなかった。なんとなく近い雰囲気のところで。(あながち間違いじゃないような…)
先述の書籍はまだまだ未到達のロケ地に関する記述があると思われるのでこれからも読み込んでいこうと思います。とりわけ旧1号編ではゲバコンドル決戦地など判ると嬉しいのですが…
この膨大な資料をまとめ上げてくださった堤氏はじめ編集に携わった皆様、今日まで資料を残していてくださった梅田味伸氏にはこの場を借りてあらためて感謝申し上げます。

ちなみにと言うとなんですが今週末の7日(日)は内田所長の命日ですね。

2014年11月16日日曜日

駒沢オリンピック公園総合運動場屋内球技場

また一つライダーロケ地が消えていきます。
16話で草加ノボルのプロレス試合会場として外観が使われた駒沢オリンピック公園総合運動場屋内球技場が建て替え工事に入った。いや、7月から既に入っていました。
東京オリンピック誘致の際にいくつか64年オリンピックの際に建てられ老朽化の進んでいた建物が建て替え候補に入った。国立競技場に関しては何度もニュースに取り上げられていたので確認していましたが他の建物はまだ先だろうと思っていました。
しかも7月以降も何度も駒沢通りも通っていたのに改装だろうと高を括っていた自分が悔やまれます。慌てて見に行ったら辛うじて仮囲いの上に屋根のスロープが見えているので建物自体はまだ残っていましたが解体されてしまうのも時間の問題でしょう。

2014年11月1日土曜日

えびの高原

エピソード順を追って解析している当ブログでの紹介はまだ少し先になるが先月末、気になるニュースが流れてきていました。
第40話のロケ地、本郷猛復帰エピソードとして有名なえびの高原のしかもメインロケ地であった硫黄山に噴火の可能性があり立ち入り禁止になっているそうだ。

私自身はここ数年の間に4回、実はつい10月の初めにもここを訪れたばかりの直後のニュースで大変驚いた。ロケに使われた旧火口周辺は当時の映像では大量の硫黄の煙が立ち込める状態になっていた。42年経った今では煙こそ出ていないが釜部分は立ち入り禁止になってはいたが直近まで近づく事は可能だった。(実際、柵が無いので私含め観光客は自由に釜の中まで立ち入れた状態だが)
しかし、今回の警報で周囲1km立ち入れないとなるとちょっと事情が変わってきたようだ。
スノーマン戦で周囲に映っていた巨大な岩の多くは崩壊が進んでいるものも多かったし、絶妙なバランスで積みあがっている巨岩も少なくない。噴火どころかもし少し大きめの地震が来たらすぐにでも崩れ落ちてしまいそうな状態なのである。
このまま噴火せずに治まるかどうかは判らないが当時の雰囲気を残す場所だけに出来れば治まって前のように見学できる状態になってくれればいいのだが。
当分は予断が許せなそうだ。




2014年8月28日木曜日

コニー山田 #1

コニー山田が登場するカットがどこも同じような造成地なのだがその都度撮影場所が異なるので順に追ってみた。

事件を追ってやってきた若駒山中で男の悲鳴を聞いた一文字。
一文字が走ってきたのは生田スタジオ裏の多摩美公園。春先に撮った写真なのだがこの頃からガス管埋設工事が始まっていてそれまでライダー撮影当時とあまり変わらなかった読売ランド前駅方向に抜ける道がかなり変わってしまうんだと思います。

村人を襲った怪しい黒装束の男を追う一文字とコニー。
コニー山田がバイクで追って行くカットは稲城市坂浜にあったタマサーキット(現日大稲城総合グラウンド)。

アルマジロングに追いつくも返り討ちに遭う一文字。
ここは残念ながら判断出来なかった。他のカットととは草の生え方が独特だが大丸の南多摩水再生センターの敷地だろうか。
王禅寺公園前でした。

2014年8月26日火曜日

京浜島

ザンブロンゾを追い詰めたライダーと滝
ザンブロンゾとの決戦は羽田空港の駐車場から一転しめ立て間もない京浜島に移る。
当時は何も無い状態だが現在は工場や倉庫などが立ち並び見通せることが出来ないので島の外周をアングルを合わせながら撮影。
滝の後方に見えるのは首都高羽田1号線と東京モノレール
薄っすら見える建物は森ヶ崎水再生センターの施設と思われる。
ザンブロンゾ後方は羽田空港整備場の建物。
ライダー後方に建設途中の城南大橋のたもとが見える。

田ノ入取水堰

捕らえられた立花レーシングクラブのメンバー達は北峯山の麓へ連行される…
この古く大きな堰堤は講談社オフィシャルファイルマガジンではロケ地不明とされていたが、ここは現在の丹沢湖の三保ダムにあたる場所にあった東京電力田ノ入取水堰。
三保ダムの竣工が1978年なのでこのエピソードやバロムワン16話などの撮影後数年のうちには姿を消したと思われる。
航空写真を遡って見て行くと完全に解体された後、現在の三保ダム本体のロックフィル(岩を積んでフィルター状になっている部分)が作られているのでロケ地が現存しないというより土中に埋まってしまった状態。


堰のあった辺りのロックフィル部分の頂上から同方向を撮影。劇中画像の右後ろに見える山が撮影画像の右下に湖面に頭を出している山の中腹と思われる。後方は権現山か。
 すっかり手摺にピントが合ってしまいボケているが下流側で当時のままの部分、左岸側の岩肌が辛うじて一致している。劇中に見えている右岸の山部分は全て掘削され無くなっている。
全くよく判らない対比だが現在のダム本体のロックフィル部分(要は現在は土中)に存在していた為に角度をあわせるとこのようになる。劇中で左後方に見える白い管はこちらもダムに沈んだ旧落合発電所の落水管。
重力式コンクリートダムではないのでこの放水路部分は以前は山だった部分。ダム本体はあくまでも右側に植樹もされている斜面の部分。
三保ダム脇にある現在の田ノ入発電所
 丹沢湖記念館に展示してあった往時の航空写真。落合発電所と田ノ入取水堰の位置関係がよく判る。
堰堤全景
この河内川や世附川の上流で何度かロケ(ライダー54話、58話、V3 31話等)が行なわれているが三保ダム建設によって水没し訪れる事が出来なくなってしまった。現地検証はいつか記録的な大干ばつでも起きる時を待ちたいと不謹慎ながら思っている。


なお、この堰堤に関する資料はネット上では極めて乏しく、また国会図書館などにもあまり参考になる物が無かった。まだ未見だが当時の神奈川新聞社編・発行『丹沢湖』(昭和53年)、神奈川県企業庁編・発行『三保ダム建設工事誌』(昭和56年)等が参考になると思われ神奈川県内の一部の図書館では取り扱いがあるようなので興味ある方は是非。

2014年7月28日月曜日

旧東京都道神奈川県道139号線

サボテグロンを追って日本にやってきたFBI捜査官を乗せた滝のジープ。
この道は旧東京都道神奈川県道139号線横浜市青葉区奈良町付近。こどもの国緑山霊園合掌の杜TBS緑山スタジオシティの間を走るいわゆる鶴川街道の一部で90年代頃まで「緑山サーキット」「緑山峠」と呼ばれ走り屋のメッカだったが現在は事故防止のために車両の通行が規制され遊歩道となっている。そのため擁壁こそ面影を残しているが車道半分ほどまでが歩道化されセンターラインが無くなり当時とは趣が異なる。

サボテグロンを倒しZ計画を阻止した一文字隼人。
第15話ラストの伊豆ぐらんぱる公園を走り出すとこの道に切り替わる。


2014年4月18日金曜日

菅馬場3丁目/菅馬場公園

前回の記事を見たEROOYAJI氏から71年当時の菅馬場~寺尾台の航空写真画像を頂いた。
下の画像中央左側の白い部分が「仮面ライダー」、「帰ってきたウルトラマン」の放送時の造成の状態。
現在の物と比較してみた。
画像上部分の現在の航空写真の白丸の辺り、白黒の72年時の緑丸辺りがステーションNo.5のセットが組まれたりドクダリアン決戦の撮影があった個所にあたる。

緑丸の近く川崎市立南菅小学校と菅馬場公園の間に当時の土手を生かした段差がかろうじて残っていた。
この土手が当時の位置だとすると対比写真はこんな感じ。
一致するのは赤丸の寺尾台団地の給水塔くらいだがまさにここだろう。左側の紅白の塔は生田配水池の調圧塔だが1年ほど前に解体されてしまった。
この「帰マン」のカットを元に造成地以外映り込みの無くカメラ方向の掴みにくいドクダリアンの映像を割り出すとこんな感じ。

前回の記事で解説したもののややアバウトな印象だったので少しすっきりしました。



2014年3月12日水曜日

吉見百穴(よしみひゃくあな)

一文字にたしなめられ自分たちだけでショッカーのアジトを探そうとするマリたち
吉見百穴の全景が映るが下に建物の青い屋根が映る事から敷地外から離れて撮影していると思われる。



仲間の危険を察知し駆けつけた一文字。
古墳の解説が書かれた看板を利用して何故かアジトの看板を出す親切なショッカー。

子供たちを救出し走り去るライダー

2014年3月10日月曜日

中島飛行機地下軍需工場跡地②改稿

一文字たちに皮肉を言われショッカーに反撃しようとアジトに向かうが逆に襲われるマリたち。
吉見百穴の墓穴から出入りすように地下の工場跡へと入っていくが実際にはつながってはいない。
連絡を受け滝がやってきた。
 崩壊が酷く立ち入り禁止になっている区画。地面に堆積した土砂でかなり埋まっているのが判る。
撮影は立ち入り禁止のその奥。

4、5年ぶりに再訪。地下通路内での撮影パートを判る限り検証しました。カットによっては暗くて位置が判別出来ないシーンも若干ありましたがほぼ特定出来たと思います。
情報内容の正確さを求める為に記事の差し替え、追記等を行う場合があります。

自己紹介

自分の写真
仮面ライダーの全てのロケ地を自分の目で見る旅の途中です。 当ブログは元の作品の権利、肖像権を侵害する物では無く、作品を120%楽しむ為の一つの手引きとして筆者の研究調査成果を提示するために一部"引用"として元映像を使用させていただきました。作品の権利は東映株式会社様にあります。