2018年8月29日水曜日

江東病院

勝丸を見舞う本郷と滝。
劇中映像にしっかり病院名が映り込み講談社オフィシャルファイルマガジンの記事にも「江東病院」と記載されていたのでそれを元に2010年に江東区大島にある江東病院を訪う。その際、旧病棟が建て替えの為に解体の真っ最中だった為に建物の細部が確認出来ず当時の病棟の写真など資料探してみたものの確証の得られる情報を見つけられないでいた。病棟のどちら側を捉えた映像なのか、病院を見上げる二人の背後の大通りは?看板の「深」は「深夜入り口」の頭文字か?ほんの数秒の映像ながら全く答えにたどり着けないまま…

最近になって改めて劇中映像から拾える情報はないかと見直していたところ、幾つか気づくことがあった。コンマ数秒ではあるが窓ガラスにスリーダイヤに三菱と読める看板が映る(下画像左の赤丸。文字は鏡像)。これは対面側に何かしら三菱の施設があるというヒントになりそうだ。wikiによるともともと江東病院は三菱製鋼の社員の療養の為の施設として同地にあった工場が移転した際に出来た遊休地に建てられたのが始まりとされているのでその後も近くに何かしら三菱関連施設があっても不思議は無い。また微かではあるが番地が一桁の一桁ということも確認出来る(下画像中央あたり)。
加えて病院に入るカットで対面に映る建物は当初は江東病院近くにある江東区立大島第四小学校だと思い込んでいたが塀に埋め込まれた黒い銘板の上の点がスリーダイヤのように思えてきた(下画像右端の黄丸)。もう一点見るべきポイントは中央分離帯に植え込みのある片側2〜3車線の大きな道路だということ。大島第四小学校前の道は道幅はあるものの当時も今も分離帯が存在しない。
上記までの仮説、情報をまとめると三菱関連施設と広い道路を挟んだ場所にある現在の大島病院とは異なる建物ではないかという推察がついてきた。
と、ここまでの経緯を逐次ツイッターに上げていったところコロンボ氏から資料が寄せられた。90年代の東雲にあった旧三菱製鋼東京製作所周辺の地図だったがそこには「江東病院深川診療所」の文字があるではないか!「深夜入り口」だと思い込んでいた「深」の字は「深川診療所」、三菱製鋼と広い道を隔てて存在するもう一つの江東病院、自分の立てた仮説が立証されたかのような地図だった。当該建物自体の画像は見つからなかったが古い航空写真を見ると本郷と滝の後ろに映っていた建物の位置関係も見事に一致する。

残念ながら三菱の工場の移転、周囲の再開発の憂き目にあいいずれの建物も現存しないが道幅が雄弁に語っている。
病院のあった跡地はしばらく空き地になっていたが最近になってビルが建ち始めた。
いつもならこのような病院のシーンは稲城あたりの病院で撮影されそうだが、おそらくここが使われたのは有明の埋立地(現在のビッグサイト周辺)で撮影された同時製作だった第64話のトラックの走行シーンと同日に行わざるを得ないスケジュール的な理由から選ばれたのではないだろうか。トラックのシーンが撮られた有明(10号埋立地)と病院のシーンの東雲(6号埋立地)は連なって一つの島を成していてお互いの撮影場所は当時でも車で10分とかからないだろう距離であった。

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