2010年5月25日火曜日

お台場 第4話「人喰いサラセニアン」

拉致された姉の雪江を救うため、サラセニアンアジトを探しお台場の現在のテレコムセンター辺りを疾走する本郷…と思っていたシーンだが品川火力発電所の煙突との距離感、次の東京タワーの見え方、少し違うような気もするな。東京タワーまでの距離感が他の同エリアで撮られた映像より近く感じられる。










































先の推測となる一つの要素が次の一連のカット。現在の台場公園、第三台場と呼ばれる黒船来航に備え江戸幕府が建造した砲台跡よりショッカーのアジトを探し東京港を見渡す映像。(その際、アジトのように映るのは今も公開されていない第六台場だが実際にアジトのシーンが撮影されたのは見晴らしているはずの第三台場。)
このカットに映る東京タワーは先のバイクシーンのそれより明らかに遠く感じる。第三台場はお台場でも最も東京タワー寄りにある場所のはずなのにずいぶん小さく見えるのだが…
*次の3カットは上記の晴海方面から品川へ東京港をパンする一連。東京タワーと貿易センタービル以外に高い建造物は無く、もちろんレインボーブリッジも無い。時代を感じますね。















現在も残る船着場。しかし93年に完成したレインボーブリッジで視界は遮られる。















第六台場。一般公開はされていない。普段、人が立ち入らないだけに植物の育ち方がハンパ無い。
恐らく湾内の海鳥の憩いの場なのだろう。














ここからのサラセニアンアジトのシーンは第三台場内の撮影。
観光地として整備されたが当時とあまり変わらない。














台場の外周の土手の上走るサイクロン。この向こうはオープニングでおなじみの貯木場。
現在はフジテレビ前の人口砂浜として有名な場所である。














土手の上の係留アンカーのような物が今も残っているのが判る。






















この後、サラセニアンとの決戦になるが夜間撮影で遠方にわずかに灯りは見えるが場所の判別は出来なかった。
資料によっては生田スタジオ裏の空き地とされてはいるが、同じナイトシーンの撮られているエンディングの救出した師弟が再開する寺尾団地付近の宅地造成地かもしれない。

百村~考察中~ 

第4話にてサラセニアン戦闘員の車両を追跡する本郷。
このシーンはスタッフの間で三栄土木と呼ばれた現在の稲城駅周辺で撮られている。
①疾走するショッカーのグロリア。後ろにはこの造成地を管理していた三栄土木の現場事務所と待機中のダンプカーが映る。またその先には造成の始まったばかりの向陽台の一部が映る。
現場事務所との位置関係からすると恐らく現在の稲城駅の北側と思われる。










②グロリアを追ってきた本郷。後ろの民家よりも高い位置にいること、現場が①のカットから進行方向へ向けて昇り傾斜になっている事から稲城駅南側辺りまで来ていると思われる。


対峙する変身したライダーとショッカーのグロリア。遠方に向陽台の造成地。①から比べてかなり移動している事が判る。


③車を降り戦闘が始まる。左奥には向陽台の造成地。右端に見切れている建物は稲城市立稲城第一中学校。このカットでおおよその位置関係が判るが現在では京王線稲城駅といくつかのマンションにより見通すことは出来ない。この時点では京王線は線路すら出来ていない。
比較している写真は実際の位置よりかなり東側から鉄塔の位置関係を確認する為に撮った写真。
山の上に平行して2本立ったところから右へ低くなり遠方に2本並んでいる。


この一連の位置関係を確認するのに役に立った写真。パルテノン多摩歴史ミュージアムのサイト内にあった現在の稲城駅から向陽台にかけての当時の造成中の航空写真。右下辺りが①の写真辺りと思われる。



他にもニュータウンあたりのロケ地検証の手がかりとなる写真が満載なのでご覧になってください。
パルテノン多摩定点撮影プロジェクトWEBギャラリー

2010年5月21日金曜日

静春荘 第4話「人喰いサラセニアン」















この回に登場する姉弟宮下雪江と健二の住むアパートとして実名で登場する”生田の静春荘”。
残念ながら往時の建物は建て替えられ”シェ・モア”という今風のアパートになっているが、よく見ると向かって左隣の民家は外装こそ改修されているが門扉はそのまま残っている。
読売ランド前駅から袋小路のように旧生田スタジオへ向かう道すがらにある。














本郷の後ろの擁壁のあたりはすでに住宅が建ってしまっているので少し旧生田スタジオ寄りにわずかに残った部分を撮影。





健二の頼みを受け旧生田スタジオ方面へ走り出す本郷。奥にはサイクロン号の特写で有名なコンクリート壁も映る。
…40年経った現在の写真にも同じような後姿が映るがずいぶん足が遅そうだw

2010年5月19日水曜日

向ヶ丘遊園 第4話「人喰いサラセニアン」















プロローグはすでに閉園(2002年3月)して久しい向ヶ丘遊園から始まる。
仮面ライダーが製作された生田スタジオからの距離が近く、ライダーシリーズ以外の生田スタジオ作品にも登場する。円谷からも近いのでいくつかのウルトラシリーズにも使われた場所である。
敷地の一部には来年にオープンを控えた藤子不二雄ランドの建設も始まり、この階段が撤去されるのも時間の問題だろう。




























一部を除いて遊具、建物などの施設は閉園に伴い全て撤去された為、事件の起こる"花のオランジェリー"もご多分に漏れずすでに建物は無い。
管理されず伸び放題になった草に埋もれながらもコンクリート製の階段が同じ場所だという事を示してくれている。

































温室内も実際の温室を使用している。ガラス越しに外に見える石積みの壁が今も残る。



















コンクリート製の階段や手すりの柱は今も同じ物が残るがこれらも時機に撤去されるのだろうか。

2010年5月13日木曜日

サンドスキー場~平砂浦 第3話「怪人さそり男」

アジトから脱出するとそこはサンドスキー場の頂上部部分。
もつれあいながら北東側の斜面を転げ落ちていく。ライダーとさそり戦闘員たち。














すり鉢状になった砂の斜面。結構高低差がある。
撮影アングルを探し何度か登り降りしたがかなりきつかった。













ここから場面は平砂浦の砂浜に移る。
映像にあるようなライダーが乗っているような大きさの岩はそう多くないので探せば見つかるだろう撮影があったと思しき辺りを歩くこと小1時間。…見つからない。
2,3の大きな岩を触ってみると手で触っただけでボロボロ崩れる。
40年の月日がゴツゴツした岩の角を削り丸く小さくしてしまったか?
砂浜の海岸線も後退し、強風にあおられた砂は道路際に堆積し2~3mの山を土手を形成し、映像と同じ場所に立ってもずいぶん見える光景が違った。














次の写真は同じ場所とは思えないような2枚だが現在の写真のように内陸側に堆積した砂の上に草が育ち、景観を異にしている。山の稜線は一致しているのが判るだろうか。
唯一ここが同じ場所だという事を認められるのは、下の写真、組み体操のような体勢の戦闘員の背後に建物が一つあるのだが、それが現在も営業する蕎麦屋”鰊”で、同じ場所で撮影された講談社の大島カメラマン撮影の写真を見るとその蕎麦屋の辺りにロケバスと思しき車両が映りこんでいる。













エンディングも同じ平砂浦で早朝の海岸線を東向きに走り去っていくように撮られている。
なぜか二人は都心とは反対方向へ走っていくのだった。。。
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自己紹介

自分の写真
仮面ライダーの全てのロケ地を自分の目で見る旅の途中です。 当ブログは元の作品の権利、肖像権を侵害する物では無く、作品を120%楽しむ為の一つの手引きとして筆者の研究調査成果を提示するために一部"引用"として元映像を使用させていただきました。作品の権利は東映株式会社様にあります。